日本肺胞蛋白症患者会

患者会について

これまでの歩みとこれからの抱負

私が肺胞蛋白症と診断されるまで 代表 小林剛志

まず、経緯からお話したいと思います。私はロードレース(自転車)をやっていました。2006年の10月頃より「なんとなく運動時に息切れする。思うよりパフォーマンスが低い・・体調が悪いのだろうか・・」と感じていました。11月には夜寝られないほど咳が出るなど風邪症状が続くようになり、あまりに症状が長引くので12月に呼吸器内科を受診しました。そこでレントゲンを撮ると肺が真っ白でした。その後、複数の検査結果と標本をいろいろな先生に見てもらい2月に「肺胞蛋白症」と確定診断がでました。

肺胞蛋白症と診断された頃のレントゲン写真
サイクリング中の私

「肺胞蛋白症」は初めて聞く病名です。心配になりながらも病気について調べましたが、治療法も経過・予後についても、あまりに情報がなく、不安な日々を過ごしました。一方で、容態もすぐに悪化することが無かったため、月に一度の単純胸部レントゲン、3カ月間隔のCT、半年に一度の肺機能検査、薬は去痰剤を服用しながらも決定打となる治療を受けることなく、ほぼ経過観察のみでした。

その間もインターネットで情報を探し続けていたところ、新潟大学医歯総合病院生命科学センター(当時)で肺胞蛋白症を研究していた中田教授に出会うことができました。ここで、抗GM-CSF抗体測定を受け、自己免疫性肺胞蛋白症であることがあらためて確認できたのです。

経過と治療の道のり

吸入療法を開始

最初に中田先生の下を訪れたのは2008年10月8日でした。当時のPaO2(動脈血液中の酸素分圧)は66.5mmHg(ミリメートル水銀柱)でした。中田先生の個人輸入でGM-CSFを処方され、吸入療法を2008年12月24日に開始ましたが、治療が終わる6カ月時のPaO2は58.8mmHgに下がっていました。

その後、吸入療法を1クール(24週間)実施しました。

1回あたりのドーズ(吸入量)が少ない研究のもとで行われたため、少しでも効率良く吸入できるようメッシュ型吸入器を使用した吸入を行いましたが、あまり良い結果がでませんでした(吸入するGM-CSFの量が少なかったのが原因ではないかと推測しています)。その後、250㎍を隔週で24週間吸入するプロトコールで実施しましたが、良い結果は得られませんでした。その後2009年6月からは、改善方向ではあるものの悪化はしない、65~78mmHgの範囲を推移するという状態が続きました(6カ月時(12月)のPaO2は64.2mmHg)。

一番悪い時の2011年1月のPaO2は49.2mmHgでした。50mmHgを切るとかなり重症と言われています。日常生活に支障が出るレベルのため、この時期に身体障害者の申請をしました。その後のCT検査でも悪化が認められたため、2012月6月に全肺洗浄を受けました。

全肺洗浄を受ける

当時の症状はひどいものでした。2010年より症状が悪化し、度重なる肺炎で入退院を繰り返しました。2011年は通常の仕事に加え、患者会の定款等作成に追われるなど忙しい日々を過ごした結果、睡眠時間を最低8時間以上確保しないと疲れが残り、体重も60kg台前半まで落ちるという状態でした。そこで、主治医と相談し、2012年の6月に全肺洗浄を受けることになりました。2週間の入院でした。

実際に肺洗浄をすると決まった時、恐怖というものは全く感じていませんでした。私は病院に勤める臨床工学士でしたから、手術室での業務も多いため、手術室でのイメージが浮かぶからです(※病院職員で、手術室に入る職種は限られています)。人はイメージができないものに不安を感じます。手術や入院に対する抵抗感もありませんでした。その部分は他の患者さんとは異なることだと思っています。

入院期間中はどのように過ごしていたかというと、肺洗浄の翌日以外は自由に時間を使っていました。仕事を病院に持ち込みながら、プレゼンテーション資料2つ、原稿2つは書いていたと思います。
また、適度な運動も必要と考え、病院の階段を上り下りして体力の低下を防いでいました。他には毎日、院内のスターバックスに行き、必要に応じてカフェで時間をつぶしていました。

私が普段仕事で関わっている心臓手術においては、「最後まで到達できない=死」という意味を持ちます。それと比べると、肺胞蛋白症の肺洗浄は他の外科系手術より遥かにリスクが少なめです。低酸素症のリスクはありますが、比較的短時間ですみますし、いざとなればコロナで有名になった「ECMO(エクモ)」もあります。

一番辛かったのは、挿管中のチューブのカフ圧が高く、気管を強く圧迫して痛かったことです。
挿管チューブとは、人工呼吸器から肺に酸素を送るため人体(肺)と人工呼吸器と接続するチューブです。カフとは、その送気した酸素などが肺に届く様に気管を塞ぐための風船です。その風船は膨らみ過ぎると気管を押して長期になると潰瘍にもなるのです。

肺洗浄は左・右の順序で実施しましたが、右側の肺洗浄時は、カフ圧が高くなりすぎないようお願いし、カフ圧計を使って管理してもらえたため痛くならずにすみました。

赤坂先生の肺洗浄手術を受ける私
手前は赤坂先生
入院中の病室で
中央 私、左側 赤坂先生
その後の経過

肺洗浄から2ヶ月後の8月より吸入器を1クール実施した結果、徐々に動脈酸素分圧が良くなりました。肺の陰影も改善したため、その後は月に1度のペースで近医に外来受診をしながら、また新潟大学への受診は杏林大学に替わり、年3回程度の外来に通いながら現在に至っています。

患者会の設立

肺胞蛋白症は、稀少疾患ではあるものの、当時は国から医療費の助成を受けられる特定疾患指定を受けていませんでした。
その頃の資料をひもとくと、「特定疾患」の定義(施策上の難病の定義は、1972年の難病対策要綱によると)とは、「原因不明、治療方法未確立」であり、かつ「後遺症を残すおそれが少なくない疾病 経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家庭の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾患」とされています。

そこで、特定疾患指定を受けるために、肺胞蛋白症を研究する医師が集まって発足した研究会とともに、患者として、厚生労働省に働きかけることを検討しました。
同時に、肺胞蛋白症の正しい理解と情報を発信するための研究会のホームページの立ち上げにも関わりました。
※脚注:「平成21年度厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業」『肺胞蛋白症の難治化要因の解明と診断、治療、管理の標準化と指針の確立』(課題番号H21-難治―一般-161)

私たちが安心して治療を受けるには、肺胞蛋白症の解明が進み、治療方法が確立され、医療費においては患者の負担が少なくなることが不可欠です。 難病指定への陳情をし、治療法や薬の研究をしやすくするためには、私一人、または他の患者さんが個々に声を上げるよりも、患者さんの声を集めた団体、すなわち「患者会」として国に働きかけることが近道と知り、立ち上げの必要性を実感しました。

その後、患者会として、厚生労働科学研究費補助金で発足した肺胞蛋白症研究班の支援を受けながら、2010年10月10日に発足準備を開始しました。そして2011年7月18日に第1回患者会が大阪市豊中市新千里ライフサイエンスセンタービル 802 号室にて開催され、「日本肺胞蛋白症患者会」が設立されました。

患者会が発足した2011年という年

3月11日に東日本大震災が起こり、民主党政権下、政治不安が加速し、米国債格下げがありました。円高株安となり経済的打撃ばかり受けております。一方、女子サッカーワールドカップ優勝という世相の中、患者会は本会会員数40名強という体制でスタートしました。

第1回患者会集合写真 10名の患者さんが参加しました。
その後、2012年6月小林は、獨協大学越谷病院で、全肺洗浄治療を受けました。

指定難病の認定に向けて

勉強会の開催や患者会設立を通して、肺胞蛋白症の患者さんたちと以下の2点を目標として活動していくことを確認しました。

  1. 難病指定を受け医療費の負担を軽減すること。
  2. 吸入GM-CSFを含む新薬の早期承認

その後、2012年に難病指定の枠を拡大する方向であるという新聞報道があり、厚生労働省が概算要求を出したことから、12月に財務省の内示がある時がチャンスとにらみ、署名活動を始めました。しかし個人情報保護法の壁もあり、なかなか患者さんを患者会に紹介してもらえず、患者会の人数も増えませんでした。そんな中でも、既存会員が奮闘してくれ、11,636名分の署名を添えた要望書を厚生労働省大臣官房総務課渉外調整係へ提出することができました。

それと前後して、中田先生、井上先生、田澤先生、小林の4名で、厚生労働省医政局研究開発振興課を訪問していました。その時に印象的だったのは、「政権が変わる(民主党が与党でなくなる)可能性があるため、ここで話を決めても大筋が変わらないと何も進まない」と話されたことでした。つまり、政策の大筋を決めるのは「役人」ではなく「政治家」(特に厚生労働委員会など委員の国会議員)であって、彼らに直接話ができないとダメだということです。厚生労働省ばかりでなく、国会議員へのアプローチも大事だと思いました。

また、この頃には患者会のホームページも立ち上げました。このホームページは、一般の方はもちろん医師にも肺胞蛋白症のことをもっと知ってもらうこと、新たに診断された方に情報を提供しその一助となること、そして難病指定やお薬の承認に向けた患者会の活動を知ってもらうことを目指しました。

国会議員への陳情を重ねる

渋谷区議会議員であった染谷賢治さん(故人)を通じて、衆議院議員で厚生労働委員会の委員である松本文明代議士(当時)と面談することができました。代表・小林と中田先生が訪問し、現状の説明と難病指定への陳情を行いました。最初は、松本議員は私が肺胞蛋白症であることに気づいていなかったようです。目の前にいる私自身が患者であることを話すと、身を乗り出して驚かれました。私は、患者と闘病の様子を説明しました。松本議員は傾聴されたあと、その場で厚生労働省医政局研究開発振興課課長に電話し、指定難病の認定の可能性を打診してくれました。私が一人の患者という立場だけでは、松本議員にお会いしてもこうはならなかったと思います。患者会があり、活動してきたという実績がとても大切だということを実感しました。

厚生労働省は、7,000もの難病がある中で、肺胞蛋白症だけを重点的に進めることはできません。また、難病対策に関わる厚生労働省の課は多数あり、課同士がお互いに話し合うという機会が少ないため、課をまたぐような重要なことほど、厚生労働省だけでは決められないというジレンマがあります。
これに対して、政策を決めるのは政治家です。患者会という有権者の集まりがあり、政策に患者会の声を反映させるためには、政策を決める政治家に声を届けることがとても重要なことなのです。

松本文明代議士(当時厚生労働委員)(右)を訪問
(於 衆議院第一議員会館)
左から染谷渋谷区議会議員、私、中田先生
ジェンザイム・ジャパン株式会社 を訪問
左から2番目 私、右はジェンザイム社 小栗さん

また、米国におけるGM-CSF(商品名:リューカイン(Leukine))の製造販売権を持っていた製薬会社のジェンザイム・ジャパン株式会社(=サノフィ・ジェンザイム社の日本法人)の日本支社を訪問し、GM-CSFの薬事承認申請を行ってもらうよう、患者会として要望書を提出しました。これも私一人の個人の活動では受け取ってもらえなかったでしょう。この後、サノフィ・ジェンザイム社でGM-CSF(商品名:リューカイン)吸入療法の開発が始まりました(残念ながら、2018年に同社はGM-CSFの製造販売権を他社に売却して、終了となりました)。

ついに指定難病へ認定

その後も何度か松本文明代議士のもとへ足を運び、肺胞蛋白症が指定難病の候補に入っているかどうかを確認しました。そして2015年7月、ついに「難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)」が制定され、肺胞蛋白症が指定難病に認定されました。

指定難病になる大きなメリットは、医療費が助成されることです。私が過去に受けた「全肺洗浄」という手術は、1回でだいたい150万円くらいかかる治療法です。保険適応で3割負担でしたが、それでも約50万円も払いました。それが、指定難病医療費助成制度を受けることで、収入によって上限が変わるのですが、患者さんご本人が病院や薬局に支払う医療費の月額は、どんなに高くても2~3万円以内に抑えられるようになりました(詳しくは、本ホームページ 「医療費について」のページ をご覧ください)。

指定難病医療費助成制度によって、製薬企業による治療薬の開発にも弾みがつきます。患者さんが薬代を払えるようになれば、新薬を発売しても沢山の患者さんが治療を受けるので、製薬企業も採算を見込めます。

次なる目標は治療薬の薬事承認

医療費の問題が解決したあとは、肝腎の治療薬の開発です。
厚労省、松本議員、サノフィ・ジェンザイム社への働きかけが功を奏して、2014年10月に中田先生、田澤先生とサノフィ・ジェンザイム社は、新薬の承認のための審査を行う医薬品医療機器総合機構(PMDA)の対面助言を受けることができました。また、2015年4月には、発足したばかりの日本医療研究開発機構の医師主導治験の予算を獲得することができました。

こうして、PMDAの助言に沿って、24頭のサルに対する26週間のGM-CSF吸入投与による安全性の確認が行われ、安全であることを確認したあと、健常人のボランティア9人への吸入投与が行われました。それらの試験をクリアしたあとに、2016年5月に中田先生らが、医師主導治験(PAGE試験)の治験届を提出しました。私は会員の皆さんに対してPAGE試験への参加を呼びかけ、治験登録説明会の開催と登録のお手伝いをしました。

PAGE試験は、2016年9月から12月中旬までの間に全国12施設で行われました。64人の自己免疫性肺胞蛋白症の患者さんが参加し、順調に進んだ結果、2017年11月に終了しました。試験では、33人の患者さんが24週間、GM-CSFを吸入し、31人の患者さんが同じ期間、偽薬を吸入しました。その後、両グループの動脈酸素の改善量を比較したところ、GM-CSF吸入した患者さんの方が統計的に有意に改善しているという結論に至りました。また、GM-CSF吸入は、これといった副作用を引き起こさなかったことも確認されました。

このPAGE試験の結果は論文にまとめられ「The New England Journal of Medicine」という医学分野において最も影響力のある雑誌に掲載されました。日本人だけのグループによる論文としては一年半ぶりという快挙です。2019年9月5日に厚生労働省の記者クラブでプレス発表を行うことになり、私はその司会進行を担当させていただきました。「肺胞蛋白症に対するGM-CSF吸入療法」を世間に広く周知できたことは、治療法の実用化に向けて大きな弾みとなりました。

プレスルームの様子2019年9月5日 肺胞蛋白症に対するGM-CSF吸入療法がNEJMに掲載されたことをプレスリリース(厚生労働省記者クラブ)
中田教授による説明中田教授による説明
この論文発表がGM-CSF吸入療法実用化への大きな転機となる

話は前後しますが、2018年2月にサノフィ・ジェンザイム社は、GM-CSF(商品名:リューカイン)の製造・販売権をボストンにあるベンチャー企業パートナーセラペウティックス社に売却しました。PAGE試験終了後、中田先生、田澤先生らは、同社からGM-CSFの日本における販売権を得て、PMDAに薬事承認申請をしてくれる企業を探しましたが、肺胞蛋白症は稀少すぎて採算が取れないという理由から、どの企業も及び腰でした。

ところが、PAGE試験が「The New England Journal of Medicine」に掲載されると、状況は一変しました。国内製薬企業であるノーベルファーマ社が開発に乗り出したのです。同社は、パートナーセラペウティックス社と交渉して、日本への輸入と販売の権利を得て、PMDAに薬事承認申請することを決定しました。

その後、中田先生が所属する新潟大学医歯学総合病院 高度医療開発センターと、ノーベルファーマ社との間で契約が交わされ、PAGE試験のデータを同社に移管することになりました。新型コロナウイルスの大流行のため、予定が大幅に遅れてしまいましたが、ノーベルファーマ社が2023年4月19日にPMDAへ薬事承認申請する予定で動いています。この間、重症の患者さんを待たせることは心苦しいと考えたノーベルファーマ社が、7,000バイアルのリューカインを無償供与し、特定臨床研究の形で、重症患者救済のための臨床試験(PAGEⅡ試験)が現在進行中です。

順当に事が運べばですが、2024年1月には薬事承認される予定になっています。

診断キットの保険適用に向けて

自己免疫性肺胞蛋白症の診断には、血液中の抗GM-CSF自己抗体濃度の測定が必要です。肺胞蛋白症の患者さんで、血液中の濃度が1.7 U/ml以上の時に自己免疫性肺胞蛋白症ということが出来ます。このキットは、2020年に医学生物学研究所(株)から発売され、エスアールエルという検査会社が受託検査をしていて、全国の病院からの検体を受付けています。 ところが、この検査は保険が適用されないために、1検体測定するのに定価で6万円もかかります。この費用は、患者さんの負担になってしまいます。保険で測定できないために、検査を控える医師も多くいます。

私は、厚生労働省を始めとする多方面に、抗体測定キットが保険適用となるよう陳情をしてきました。 これまでの患者会の活動の積み重ねから、この時には厚生労働省に連絡を入れると、すぐに担当者から返事が帰ってくるようになりました。政治家を介さなくても、どのように解決していけるかを厚生労働省と直接やりとりができるようになってきたのです。

さらに代表・小林は、自見はなこ参議院議員が厚生労働省政務官に就任したタイミングで訪問し、抗体測定キットの保険適用について直接陳情しました。これは中田先生の方からも働きかけをしていただいており、まだ具体的な目処はついていませんが、この課題を必ず実現したいと考えています。

2021年7月13日 血清診断(抗体測定)キットの保険適用を自見はなこ参議院議員に陳情する
(左から厚生労働省担当者、中央 自見はなこ議員、右 私と右端 中田先生)

目標達成に向けて、皆さまのお力をお貸しください

以上が、患者会12年間の歩みです。
今から思うと、2011年に発足し、2015年の難病指定は大きなターニングポイントになりました。そして、2つめのターニングポイントになるであろう、GM-CSF吸入療法の実用化の目処も立ちました。これらの成果は先生方のご尽力はもちろんですが、患者会の活動によって勝ち得たものです。国は、患者会の皆さんの存在、そして患者さん自身の声がなければ、動いてくれません。

しかし、抗体測定キットの保険適用はまだ目処が立っていません。また、GM-CSF吸入療法をもってしてもよくならない難治性の患者さんがおられることもわかってきました。そのような患者さんにも確実に効く新治療法の開発が必要です。医師が正確な診断・治療ができるように啓発することも大事です。まだまだ課題は山積みの状態です。

患者会のあり方は基本的に「自助・共助・公助」で成り立つものだと思います。ただ、肺胞蛋白症だけが優遇されるのではなく、弱者も共存できる社会を目指したいと思っています。自己免疫性肺胞蛋白症はある程度目処がたちましたが、患者さんの中には進行が早い肺胞蛋白症(劇症型肺胞蛋白症とでもいいましょうか)も一定数います。それも小児や若年層に多くみられ、これまでの治療法では緩解が難しい状況です。

このような状況にある患者さんのために、患者会として共助することが必要だと考えます。ある程度改善した会員には、是非症状が安定しない方々を助けてほしいのです。 また、現段階で最善の治療法である肺洗浄・GM-CSFの吸入に加え、他の治療法も模索し、選択肢を多くすることが必要です。患者会として、公助を受けるため、また世論に訴えてゆくためにも、今後も継続的な活動が不可欠です。

私たちは、まだまだやるべきことがあるのです。そのための力を貸していただきたいのです。
一緒に行動していただきたいのです。
今後もよりいっそう活動を充実させるため、多くの患者さんに会への参加を呼びかけています。